よもやま話 topへ

白馬(しろうま)釣り奇行
-白馬で釣り上げた岩魚で骨酒をつくって嗜む-
 昨夜はなつかしい友と会い、楽しい酒を飲んだ。

「グゥオ〜、ス〜、グォ〜、ス〜」鼾をかく先輩。
「ギイー、ギリギリ、ギーギリギリ」歯軋りの後輩。
「アイタタタ・・・、ナンダ、(ドスン)。アイタタタ・・・」壁にぶつかっては寝言を言う先輩。その三人と同室で、少し寝付けなかった割には一番先に眼がさめた。

 まだ暗い中一服する。三時半である。鼾、歯軋り、寝言の三氏も明け方は静かだ。 
 四時、携帯電話の目覚まし音で皆起きる。

 

各々の山行パーテイーを見送った後、たった一人の釣行が始まった。六時である。             

今回は前回にも増し、期待と不安が交錯していた。たった一人の釣りというのは、誰にも邪魔されない、のんびりと優雅である、等と考えがちだが、それは釣堀や、見晴らしが良く、足場の良い川や海、湖の釣りのことであり、渓流釣り、それも岩魚狙いとなれば話は違う。万全の準備はしたが、不安は残る。しかし、その不安を打ち消すのが、それ以上の期待。(アルプスに入って、二、三年ものを釣りあげたいものだ)

 その期待の映像の中には、昼なお暗き静寂で神秘な淵、そこに落ち込む滝の上から、木漏れ日が揺れる。せせらぎの音、木々の緑、その匂いまでもが五感をくすぐる。膝まで浸かった足には、昨日まで雪だったのだろうと思われる水の冷気がゴム長を通して伝わってくる。そして、その映像の中心に岩魚を釣り上げている自分がいる。

 こうして、少しの不安を消し去って、期待一杯の釣行が始まる。

 前日、宿の主人から仕入れた情報によると、近くの松川、さらに上流の二股から猿倉までの支流でよく釣っていると言う。私がここにくる前に地図を見て密かに狙っていた川はどうなんだろう。主人に聞いてみる。

「先輩、この沢はどうですか?」
「ああ、C沢ね。ここも昔は釣れたですけどね・・・」

 昔っていつ頃のことだろう。とりあえず、よく釣っていると言う松川に行って見ることにする。
 自然歩道の脇にある駐車場に車を止め、川に出る。素晴らしい眺めだ。広々とした川幅、数々の落ち込み、簡単に越せそうな堰堤、雪を残した白馬の山々が朝日を浴びてくっきりと姿を見せる。

「こんな条件で岩魚が釣れたら、いや、山女魚だっていい。最高だ!」

 思わず興奮しながら仕掛けを用意する。川幅は広く、木も藪もない。道糸を長めにし、第一投目を振り込む。

(この落ち込みで、この時間で、居るとすれば、この場所だ)

 毎度のことながら、高鳴る心臓。全ての神経を一点に集中して餌を流す。・・・何の当たりもない。次の淵、落ち込み、全然当たりなし。いつしか堰堤まで来てしまった。

 カメラマンらしき人が三脚を立て、川と白馬連山を撮っている。老夫婦が川渕を散策している。こちらを見た。

(居ないジャン!岩魚どころか、山女魚、ウグイも、鯉も金魚も)

 いささか、焦りながらも、そこはセミプロ、伏し目がちに竿を納め、

「フム、フム」

と分かったような頷きをして、ゆっくりと大股で心中の焦りを隠して車に戻る。エンジンをかけて、

「さて、どこへ行こう」

 宿の主人に教えてもらった猿倉の下か、まてよ、「このあたりで、よく釣ってます」ということは、釣り人が毎週のように入っていると言うこと。釣ってるけど、釣れてる訳じゃない。白馬へくる前から地図をみて狙っていた、「昔はよく釣れたですよ」の沢か。
 とにかく二股まで車を飛ばす。宿を出てすでに一時間半経っている。二股の橋の手前に三人ほどの、白馬村役場の人だろうか、山に入るすべての車を止めている。一人が私の車の方に近付いて来た。猿倉まで車は乗り入れられないようだ、どうしようか。

「C沢に入りたいんですが」

 思わず口走っていた。

「じゃあ、橋渡ったところの左へ止めてって下さい。林道は車、入れないもんで」

 そして、仲間に、

「いやあ、この人は違う。山に登るじゃなくて、釣りみたい。C沢だって」

 どういうことだ、この人は違うって。馬鹿にしているのか、あきれているのか、C沢は魚いないのか。

 C沢の入口は鉄のゲートが閉まり、人ひとりすり抜けるのに精一杯の開きがあるのみ。そこを、スルリと抜けた時の我がいでたちは、濃紺のキャップをかぶり、濃紺の長袖シャツ、同じく濃紺の釣り用ベスト、これに、釣り仕掛け一式、軍手、タオル、デジタルカメラ。左の胸のポケットには、ナイフ、ペンチ、ハサミ、刺抜き等が収まった工具、携帯電話に携帯灰皿、サッカーの審判用の笛(岩魚はサッカーしないので、審判する必要ないんだけど、熊、猿、鹿を驚かしたり、釣り仲間に合図する為)。それから、右の胸には、虫刺され、傷用薬、ウェットティッシュ、飴。腰には餌を入れた魚篭。肩からはザイル8o×20m。足には五本指用ソックス、そして、滑り止め付きゴム長靴。手には硬調6mの渓流竿。

 濃紺で服装を統一しているのは、私がお洒落だから。・・・ではない。少しでも魚に気付かれない為。忍者の如し、のそれである。何しろ敵は魚眼レンズを装着していて、水の中から全てお見とうしという訳。白だの黄色だのの明るい色が動き、

「キャー!冷たい!」「そこが釣れそう!」

などと声を出したら、聴覚だって優れているから、サッ、と淵の奥の岩陰に入ったきり、もう出てこない。それでも釣れる場合があるが、それは一年ものの若いのが興味津々で冒険するからだ。そんなやり取りを何年も経験した大物はどんな時が危険か良く知っている。
 だから、大物を釣って喜ぶのは知恵物同士の戦いに勝ったと思うからだろう。それも普段知恵の無い者ほど喜ぶものだ。私も、もちろんその一人である。

 林道を歩き出す。宿を出てから二時間になる、まだ獲物は無し、いつしか歩き方が早くなっている。左に本流が見え隠れしながら林道に沿って流れている。十五分ほど歩いた頃か、橋に出る。右側の山の水を集めた沢の為に林道にかけられた橋だ。

(どんな沢だろう)

期待が走る、ところが、どうしたことだ、沢も橋もあるのに水がない。次の沢も水が枯れてしまっている。

(こりゃダメだ。登山靴を履いて白馬に登ってた方が良かったかな。今頃、大雪渓登っているのかな。こちらは、この炎天下、股まであるゴム長履いて、ザイルを肩にかけ、魚篭をつけ、林道歩いてるんだもんね)

 白馬には学生時代五度登った。松本時代に三度、長野時代に二度、白馬―杓子―鑓―天狗の頭―不帰キレットー唐松―八方の縦走、その逆もやった。大雪渓、お花畑、早朝の山頂で見たブロッケン現象、天狗山荘の前で山荘に泊まる金をケチって、土砂降りなのに天幕の中で二日過ごしたこともある。ピッケル使ってグリセードの練習したのは白馬鑓温泉だった。

(山に登っていた方が、よかったかなあ)

 ゴム長の中の足が悲鳴をあげ始めた。

(こうなったら、左に流れる本流に入るか)

 適当なところから川原に降りる。

 もうそれ程期待していなくても、魚釣りの性、第一投目は緊張する。仕掛けは松川で使用したものと同じだ。もし岩魚が居るとすれば、五匹はゆったりと泳いでいるだろうと思われる淵に餌を流す。八時半、太陽もすっかり昇っているので、敵は岩の陰に居ることの方が多い。淵の中の各々の岩の下を探る。一つの落ち込み、淵で二回から三回竿を出す。しかし、当たりが微塵も無い。ますます期待は薄くなる。と同時に、骨酒を待つ皆の顔が浮かぶ。怒る顔、「やっぱりな」と納得する顔、嘲笑する顔。

 去年の戸隠の合宿では、八匹の岩魚で骨酒にし好評を博した。今年もと言われた。

「とれなかったら?」

と言われた先輩に、

「先輩を骨酒にします」

と言ってしまった。先輩を骨酒にするなんてとんでもない。いや、骨酒にしてもいいけど、飲むなんてとんでもない。人は脳裏に見たくないものを見た時、本能的に修正する力を持つ。川原の中に美しく咲く花に目が行く、河原撫子だ。さらに強烈に印象付ける為にカメラを出す。

(骨酒を忘れるんだ)

 白い砂地にピンク色で存在をアピールする撫子にピントを合わせて、シャッターを押す。

(他に美しいものは無いのか)

 正面の残雪の付いた鑓ケ岳、天狗岩稜を撮る。そして右の近くの山に目を移した時だ、釣り上ってきたすこし後ろの林道の向こうに、沢を感じさせるへこみをみつけた。それも枯れていた二つの沢より深い。

(あそこだ!あの沢に行って水が無かったら帰ろう!帰って先輩を骨酒にしよう!)

 覚悟が決まったら落ち付いて来た。本流を少し上がって堰堤まで行き、そこの落ち込みで、魚の居ないのを確かめるように三度ほど糸を垂らし、林道へ出た。戻る道の脇に山紫陽花を愛でて、カメラに収め、沢があると思われるところまで来た。

 水の音が聞こえる。沢があり、水があるのだ。やっと思い描いていた沢に出会えた。

(そう、そう、この感じ、この感じ。しかし、騙されるなよ)
 今までの仕掛けをしまい、この沢に合った仕掛けにする。俗に言う提灯釣りだ。六mの竿に道糸を付けずハリスのみ、約四十pを付ける、0・4のハリスに6号の岩魚針だ。まず大きな淵を探る。 当たりなし。 足元を見る、昨日と分かる人の足跡、釣り用の長靴ではなく当たり前の長靴だ、犬と一緒に入っている。地元の人だろう。

(また、ダメかな)

 大きな淵をやめ、先に人が入っている場合でも何とか成果をあげることの出来る、何でもない流れにある石の下を探る。
 次の瞬間、

(来た!)

 岩魚だ!ついに一匹!やっと一匹!

 宿を出て三時間十五分。 九時十五分だ。十二pの小さな岩魚だけど、ほっとした。C沢には魚が居ないのかと思い始めた時のヒットだ。そして二分後、二匹目、十五p位のを上げたところで堰堤にぶつかった。この沢は流木と押し出された岩で、思い切り急な沢だ。落ち込みの上に一m上がって次の落ち込み、まるで結婚式やパーテイーでやるシャンパングラスを積み上げて上からシャンパンを流したような川である。足場を探しながら思い切って堤防を登攀すると、そこから人の足跡も犬の足跡も消え、川面に蜘蛛の巣が見えた。

(よし、これより上は暫らく人は入っていないぞ)

 蜘蛛の巣の上から静かに糸を垂らす。餌から三十p位のところにつけた目印から目を離さない。ヒラヒラ、クルクルと動いている目印が一瞬止まる。

「ウッ!」

 竿を合わせる。二十p以上の岩魚が蜘蛛の巣を突き破って上がってくる。暗い沢の中に薄日を受けた魚の腹が光る。

 次の淵まで、また岩を登り、倒木をまたぎ、潜り、完全に沢登りだ。岩を攀じ登る度に竿を短く納めて糸を巻く。針の部分をどうしようかと考えたが、いいものが見つかった。ポケット・ウェット・ティッシュの入れ物だ。ティッシュが少なくなっていたので蓋のベタっとするところに針を付けて、竿先を差し込むとうまく収納できた。それを腰のベルトを使い背中に差し、両手を使って岩を攀じ登る。次の落ち込みで二十pクラスが一尾、もう少し登ってまた一尾、これで合計五匹となって先輩の骨酒姿は薄れて消えた。

 ここまで五時間半、時計は十一時半になっていた。少しの安心とともにゆとりが出てきた。考えてみると今まで歩きどうし、立ちどうし、竿を握りどうしで、一度も座って休むことをしなかった。

 適当な岩を捜して一服する。その時になって、足に少しの筋肉痛、竿を握っていた右手中指が少ししびれていることに気がついた。ポケットに入っていた干し梅入りカンロ飴を口に入れる。甘さが心地よく身体に沁み込んで行く。もう一服し、タバコのフィルターを灰皿に収め立ち上がる。

 そして次の大きな淵を攻めた。その時だ、「バシャ!」と大きな魚身をひるがえして、岩魚が針をはずして奥に逃げた。

(大きい!本当か!三年物だ!)

逃がした魚は大きい。しかし、この淵では今日一日中釣ってもあの岩魚は出てこない。岩魚の勝ちだ。五匹釣った安心感からか、緊張感が足りなかった。川上を見る。大きな岸壁だ。あの三年物を釣り上げていたらもう納竿していたのに、上に登るしかない。まだ時間はある。再び竿を背中に差し登攀。上に出るとその先に二ヶ所だけポイントがある。そしてその先はもっと高い岸壁だ。

 ウェット・ティッシュの袋から針をはずし餌を付け手前の淵を探る。

「ウッ!」

 二十五pが上がって来た。これで六匹、皆に許してもらえるだろう。三匹ずつ並んだ骨酒の絵が脳裏に浮かぶ。

(まて、まて先程逃がした三年物級が居るとすれば、この上の落ち込みだ)

深呼吸して気持ちを集中する。念には念を入れ新しい針に替え、餌も手頃な大きさを付け、岩陰に姿を隠しながら最良のポイントを探す。滝壷の水面は今立っているところより一m半上にある。大きな滝壷の場合、一番深いところに餌を落としがちだが、大事なポイントは淵からの水の出口である。餌が出口から下流に流れていってしまいそうな時、奥から魚が飛び出しヒットする。岩魚も、餌を注意深く観察している間もなく、流れていってしまいそうな餌に喰らいつく。

足元をチェックし、大きなのが釣れた時に釣り上げる場所も確認した。忍者の如く腰を落とし背中を丸めてポイントに餌を落とす。

一・二・三秒。

(ムッ! ウッ!でかい!)

 一度姿を見せた魚体が、淵の一番深いところへ沈む。硬調6mの竿が今まで見せたことのないしなりを見せる。凄い引きだ。ハリスは細い、針は小さい。

(大丈夫か!)

 三十秒位ファイトしたが、やっと顔を出した。

(尺物だ!)

 竿を思い切り立てるが、水面から上げることが出来ない。口先は曲がり、鋭い歯が見え、大きな頭に大きな目が黒光りする。思わず身震いする。竿のしなりを上下に使う、ここで糸を緩めたら針を外されてしまう。

(あせるな!)

 ヨーヨー釣りの要領で、糸を同じテンションで張り一・二の三で左側の岩場に上げる。

(まだ安心するな!)

 竿を短くたたみ、岩場に行き、跳ねる岩魚を両手で押さえる。

「ギュー!」

と鳴いた。主の声だ。

『よし!やった!』

 誰も居ない渓流に初めて私の声が響く。三十五pはある尺岩魚だ。何十年振りの手応えだ。五年物か、小さな針は上顎の先に掛かっていた。中まで飲み込まれていたら獰猛な歯で糸を切られていただろう。タバコの箱を並べてデジタル撮影。魚篭に入れると一匹だけ尻尾が納まらない。竿をたたみ、仕掛けもしまい、淵に向かって手をあわせ一礼する。時計は十二時十五分を過ぎている。川上と川下に向かって笛を吹く、本日の釣り終了だ。

 さあ、半ば我武者羅に年も考えずに登ってきたが、沢は下りが大変だ。いつだったか、下りで石の上から滑り、せっかく釣った魚を川にぶちまけたことがある。この沢に入る時に少しの危険を感じて沢に入ったばかりのところに、しっかりと足跡をつけ、小枝を何本か折って目印としてきたものの骨折でもして動けなくなったら、発見は早くて明日だろう。携帯電話を出して覗いて見ると、二本と三本の間で旗が立っている。いざとなったら電話は出来そうだ。しかし電話は助けを求めるのに使うのではなく、釣り上げた報告をするのに使いたい。林道に無事降りてからにしよう。

「行きは良い良い帰りは怖い」

 子供の頃よく歌ったものだが、怖いながらも良くこんなに登ってきたものだ。

 何回も足が止まり、暫らく考え、慎重に降りていった。まだザイルを使うほどではない。ところが、最後の壁を降りる段になって、沢から外れ左を巻いていく方が楽に思えて樹林に入った。初めは成功したかに見えたのだが、林道近くまで来ると足元のガレ場が動き出した。かなりの急斜面に加えて足場が動く、危険だ。さらに悪いことに林道はそこに見えるのだが、崖になっている。五mはあるだろうか、飛び降りたらまず骨折だろう。足ならまだしも頭蓋骨だと話しにならない。私の骨酒を提供することになる。

 足場をしっかりと固め、ずっと肩にかけてきたザイルをはずし、しっかりとした木の根元にかける。ザイルの両端を下に落とすと林道まで充分届いた。ザイルを跨ぎ、身体に巻きつけ、ゆっくりとしかも着実に体を降ろす。ついに、しっかりとした足場の林道に出た。

 終わった。

 ザイルの片方を引き、回収するとまた肩にかけ、林道の見晴らしのいい場所に出る。一服付け、携帯電話で、宿で留守をしている
広浜氏に連絡をとる。

 「釣れました。七匹です。そのうち一匹は尺岩魚です。今夜の骨酒は大丈夫です。後三十分ほどで帰ります」

時計は一時を回っていた。

 深く、しかもゆっくりと至福のタバコを吸うと、車をとめてある二股に向かって歩き出した。その歩調に合わせるように口許から昨夜習った歌が出る。

 

   墾道(はりみち)を行きし旅人、あくがれてここに来たるか

      みすず刈る信濃の空に、 我らまた若き夢見し。

おわり


よもやま話 topへ